プラダ 財布 スタッズ
null
【 DEARISIMO ディアリッシモ 】 HELLO KITTY × DEARISIMO かわいい ウォレット 長財布 (5201a)
__3,48000
【 DEARISIMO ディアリッシモ 】 HELLO KITTY × DEARISIMO かわいい ウォレット 長財布 (5201a) 
F's MAUMU 本革 長財布 メンズ レディース リアルレザー サイフ 高級本革 ウォレット
__2,98100
F's MAUMU 本革 長財布 メンズ レディース リアルレザー サイフ 高級本革 ウォレット 
【 Venus 】 メイク ブラシ  7本 セット ゴールド ケース 女子 力 UP (7本セット)
__1,98000
【 Venus 】 メイク ブラシ 7本 セット ゴールド ケース 女子 力 UP (7本セット) 
ドクロ 柄 が クール で かっこいい ドクロ スカーフ
__1,48000
ドクロ 柄 が クール で かっこいい ドクロ スカーフ 
シンプル な 編み込み レザー ブレスレット  メンズ ファッション レザー ブレスレット
__1,99000
シンプル な 編み込み レザー ブレスレット メンズ ファッション レザー ブレスレット 
長財布 スタッズ 赤 【並行輸入品】
__2,20000
長財布 スタッズ 赤 【並行輸入品】 
null 日米開戦への恐怖  ハルと国務省スタッフがまとめた二つの案、すなわち「暫定協定案」と十カ条から成る「平和解決要綱」が最終的に成文化されたのは二十二日である。「暫定協定案」には、両国が平和宣言を発し、太平洋地域で武力行使せず、日本は南部仏印から撤退し、仏印駐留の全兵力を二万五千名に制限するとあり、これを日本側が受けいれれば対日禁輸緩和を認めるとあった。  ハルは、この案を英・蘭・中国・濠州の大使に説明した。事態が進展すれば相談すると約束していたからだ。  しかし蒋介石は、駐米大使からこの報告を受けるや失望の色を濃くした。日本の「乙案」、アメリカの「暫定協定案」、それは彼のもっとも恐れている日米戦争回避の可能性を示していたからだ。〈断じて潰さなければならぬ〉——彼は外交部長宋子文と駐米大使胡適にたいして、ハルや国務省首脳、陸海軍有力者を説得するよう命じ、彼自身もチャーチルに「われわれの四年以上の抗戦もついに無益に終わるだろう」「わが軍の士気は崩壊しよう」「わが国をいけにえにして日本に譲歩するのか」と訴えた。  この電報を読んだチャーチルは、蒋介石が同盟から離脱するのではないかと懸念した。チャーチルはハルから示された案を受けとったとき、日米戦争勃発になればイギリスだけで対独戦を戦わねばならぬのではないかと不安に思ったのだが、蒋介石の電報を読んでからは、蒋介石の自棄的な行動が心配になったのだ。インドをはじめアジアに植民地をもつ英国としては、アジア人のアジアという日本の宣伝を裏づけてしまうのを恐れて、中国をつねに陣営に引きいれておかねばならないと考えていた。彼はルーズベルトに宛てて、「われわれは明らかにこれ以上の戦争を望んではいない。われわれは一点だけを心配している。……われわれは中国について心配している。もし中国が崩壊したならば、われわれの共通の危険は非常に大きくなる」と警告した。このメッセージが、国務省に届いたのは十一月二十六日の早朝だった。ところがこれが、実際にルーズベルトに大きな影響を与えることになったのである。  メッセージが届く三時間まえ、ワシントンでは最高軍事会議が開かれ、日本の最終期限をひとまず延長させるため「暫定協定案」の提案を検討していた。会議に集う者は、それが事態の本格的解決にならないことも知っていた。会議は難航したが、ルーズベルトが「日本人は無警告に奇襲をかけることで名高いから、もしかすると十二月一日ごろに攻撃されることもありうる」と発言してから、出席者たちは、この奇襲こそが救いになると気づいた。戦争反対の声や孤立主義に傾く世論を燃えあがらせるには、第一弾を日本に発射させるべきだというのである。対独戦に参加するためにも対日戦は必要だという暗黙の諒解がそれに輪をかけ、「暫定協定案」より「平和解決要綱」を示したほうが、日本に第一弾を投じさせることになるかもしれないという誘惑が彼らを虜にした。しかし最終的な結論をださぬまま、会議は休会となっていた。  この休会の間にルーズベルトはチャーチルの電報を読み、すぐ宋子文と胡適に会って蒋介石の要望を丹念に聞いた。またハルも陸海軍の責任者に会い、日本からの攻撃に反撃できるかを確かめた。そのあとルーズベルトとハルは長時間話し合い、この際事態を延ばす途を採らず、日本に第一弾を投じさせる途を選択することにした。  十一月二十六日午後五時、ハルは野村と来栖を呼び、「平和解決要綱」を手渡した。いわゆる「ハルノート」である。国務省の応接間にはいるまえ、ハルは陸軍長官スチムソンと海軍長官ノックスに、「まもなく日米間の主役は交代するだろう」と事態が政治から軍事に移ることを予言した。そして事態はそのとおりに動きはじめたのである。  野村と来栖は、「ハルノート」を読んでいくにつれ、身を震わせた。十カ条の項目のどれもが、半年にわたる日米交渉の経緯を無視していたからだ。とくに第三項と第四項に、ふたりの怒りは深かった。そこにはつぎのように書かれていたのである。 「三 日本国政府は支那及び印度支那より一切の陸海軍兵力及び警察力を撤収すべし  四 米国政府及び日本政府は臨時に首都を重慶に置ける中華民国国民政府以外の支那におけるいかなる政府もしくは政権をも軍事的、政治的及び経済的に支持せざるべし」  これでは日本の努力は少しも認められていない。ふたりはハルを恨みがましい目で見つめ、細部にわたって質した。彼らはそのときの状況を、つぎのように東京に伝えた(「マジック」で解読されたのが以下の文章である)。 「(本使は)(三)と(四)はできない相談であり、(四)の重慶政権の承認については、米国が同政権を見殺しにできないというのと全く同様に、われわれとしては南京政府を見殺しにすることはできない、と述べた。ハルは、こう答えた。『(三)の撤兵は交渉によって行なわれるものである。われわれは必ずしも即時実現を要求しているわけではない。南京政府に関しては、米国の有する情報によれば、中国を一体として統治する能力がない』。本使はこれに対し、その議論は過去において数多くの政府が興亡した長い中国の歴史を無視したものである、と反論した」  あわただしく大使館に戻った二人は、駐在武官や館員に経過を報告した。駐在武官磯田三郎は、「アメリカは乙案を拒否、長文の強硬姿勢を伝えてきた」と参謀本部にフラッシュを送り、野村も要旨を外務省に打電した。  東京はこの一通の電報で揺れた。参謀本部には喜色が流れ、『大本営機密戦争日誌』には「天佑トモ言フベシ、之ニテ帝国ノ開戦決意ハ踏切リ容易ニナレリ、芽出度々々々」と記され、いまや主戦派の最大の援軍は、皮肉にもアメリカ政府の指導者ルーズベルトとハルであることを隠さなかった。